Time with WAR #2
「Tori's Triangle」に寄稿しているWARの話。#2はリー・オスカーとの出会いです。
Time with WAR #2
リー・オスカーはデンマーク生まれのハーモニカ奏者。高校を出て(卒業したかどうかは?だが)すぐに、トランクひとつでアメリカに渡った。子供の頃、ハーモニカをくれたアメリカ人ピッピーの「アメリカはねえ、自由の国なんだ」という言葉が忘れられず、夢の実現に踏み出したのである。コペンハーゲンから船に乗り、ニューヨークのエリス島に上陸。まるで映画「ゴッド・ファーザー」のような、事実上の“移民”であった。
彼はニューヨークを振り出しに、自分の腕を磨きながら西海岸に辿り着く。ある日、レコーディング・スタジオにいたらレコーディング中の関係者らしき男が出てきて、ミュージシャンに「誰かにハーモニカを吹かせなきゃなあ。時間がないし、どうしようか」と話しかけていた。
「オレ、ハーモニカ・プレーヤーだけど!」
それじゃあ、ちょっと吹いてみてくれ、ということからリーのキャリアがスタートしたのである。関係者の男は後にWARのプロデューサーとして知られるようになったジェリー・ゴールドスタイン、ミュージシャンがエリック・バードン。WARが「エリック・バードン&WAR」として注目されるようになる前からリー・オスカーとエリック・バードンが音楽仲間となっていたことは、あまり知られていない。
さて、リーが個人的に日本にやってきたのは、2枚目のソロ・アルバムのために日本のミュージシャンと会い(矢野顕子、高中正義らであった)、効果音として使おうと思っている“日本の音”を録音するためであった。ぼくはホテルでリーと再会し、浅草の三社祭に連れていったり、大好きだという寿司を食べにいったりしながら2日間も話し続けた。実は、彼のファースト・アルバムが日本で発売になる時に、ぼくは東芝からライナーいノーツを頼まれ書き上げたのだが、レーベル契約の関係から(ユナイテッド・アーティストが突然に他社に移ることになったらしい)発売中止になってしまっていた。そんな話をしていると、リーが「お前はブラック・ミュージックでは誰に興味があるの?」と聴いてきた。どう答えたかは今でもハッキリ憶えている。
「うーん、ジャズもファンクもゴスペルも好きだけど、個人的なテイストで最近よく聴いてるのはジミ・ヘンドリックスとラサーン・ローランド・カークかな」
一瞬、リーの顔に「おやっ」という表情が浮んだ。このときは「ふーん」で終わったのだが、WARはジミ・ヘンドリックスが死ぬ前夜に一緒に演奏しているのである。ロンドンの「ロニー・スコット・クラブ」で演奏しているWARのステージにジミが飛び入りしたのだ。(ドラッグとアルコールでラリっていたジミの音は、演奏といえる代物ではなく、5分ほどの騒音。それでも、数年後にかそのカセット・コピーをもらったときは感動した。なにしろ、死ぬ数時間前のジミの音である。門外不出のぼくの宝物だ)
リーは別れ際に、「LAにこないの?遊びにおいでよ、歓迎するからさ」と言ってくれたのだが、へそ曲がりなぼくは「いや、この夏に行く予定あるんだけどさ、行くと会えないこと多いんだ」とチクリ。
「オレ違うよ。お前が来るあたりのスケジュールがまだ決まってないから、テレックス入れるよ(まだファックスは一般化していなかったのだ)」
後日、小学館FMレコパル気付けで、長文の予定表と連絡先がテレックスで送られてきたのだ。
こいつなら本気で付き合える、と思った。
80年代の初め、ぼくはFM東京をキー局とする番組「ライブ・フロム・ザ・ボトムライン」のキャスターをやっていたこともあり、よくアメリカに行っていたのだが、ニューヨークからの帰路にLAによるとリーに連絡して会うようになったのだ。WARのメンバーやマネージメントと親しくなったのは、リー・オスカーを介してだった。
Time with WAR #2
リー・オスカーはデンマーク生まれのハーモニカ奏者。高校を出て(卒業したかどうかは?だが)すぐに、トランクひとつでアメリカに渡った。子供の頃、ハーモニカをくれたアメリカ人ピッピーの「アメリカはねえ、自由の国なんだ」という言葉が忘れられず、夢の実現に踏み出したのである。コペンハーゲンから船に乗り、ニューヨークのエリス島に上陸。まるで映画「ゴッド・ファーザー」のような、事実上の“移民”であった。
彼はニューヨークを振り出しに、自分の腕を磨きながら西海岸に辿り着く。ある日、レコーディング・スタジオにいたらレコーディング中の関係者らしき男が出てきて、ミュージシャンに「誰かにハーモニカを吹かせなきゃなあ。時間がないし、どうしようか」と話しかけていた。
「オレ、ハーモニカ・プレーヤーだけど!」
それじゃあ、ちょっと吹いてみてくれ、ということからリーのキャリアがスタートしたのである。関係者の男は後にWARのプロデューサーとして知られるようになったジェリー・ゴールドスタイン、ミュージシャンがエリック・バードン。WARが「エリック・バードン&WAR」として注目されるようになる前からリー・オスカーとエリック・バードンが音楽仲間となっていたことは、あまり知られていない。
さて、リーが個人的に日本にやってきたのは、2枚目のソロ・アルバムのために日本のミュージシャンと会い(矢野顕子、高中正義らであった)、効果音として使おうと思っている“日本の音”を録音するためであった。ぼくはホテルでリーと再会し、浅草の三社祭に連れていったり、大好きだという寿司を食べにいったりしながら2日間も話し続けた。実は、彼のファースト・アルバムが日本で発売になる時に、ぼくは東芝からライナーいノーツを頼まれ書き上げたのだが、レーベル契約の関係から(ユナイテッド・アーティストが突然に他社に移ることになったらしい)発売中止になってしまっていた。そんな話をしていると、リーが「お前はブラック・ミュージックでは誰に興味があるの?」と聴いてきた。どう答えたかは今でもハッキリ憶えている。
「うーん、ジャズもファンクもゴスペルも好きだけど、個人的なテイストで最近よく聴いてるのはジミ・ヘンドリックスとラサーン・ローランド・カークかな」
一瞬、リーの顔に「おやっ」という表情が浮んだ。このときは「ふーん」で終わったのだが、WARはジミ・ヘンドリックスが死ぬ前夜に一緒に演奏しているのである。ロンドンの「ロニー・スコット・クラブ」で演奏しているWARのステージにジミが飛び入りしたのだ。(ドラッグとアルコールでラリっていたジミの音は、演奏といえる代物ではなく、5分ほどの騒音。それでも、数年後にかそのカセット・コピーをもらったときは感動した。なにしろ、死ぬ数時間前のジミの音である。門外不出のぼくの宝物だ)
リーは別れ際に、「LAにこないの?遊びにおいでよ、歓迎するからさ」と言ってくれたのだが、へそ曲がりなぼくは「いや、この夏に行く予定あるんだけどさ、行くと会えないこと多いんだ」とチクリ。
「オレ違うよ。お前が来るあたりのスケジュールがまだ決まってないから、テレックス入れるよ(まだファックスは一般化していなかったのだ)」
後日、小学館FMレコパル気付けで、長文の予定表と連絡先がテレックスで送られてきたのだ。
こいつなら本気で付き合える、と思った。
80年代の初め、ぼくはFM東京をキー局とする番組「ライブ・フロム・ザ・ボトムライン」のキャスターをやっていたこともあり、よくアメリカに行っていたのだが、ニューヨークからの帰路にLAによるとリーに連絡して会うようになったのだ。WARのメンバーやマネージメントと親しくなったのは、リー・オスカーを介してだった。
この記事へのコメント
CMにも使われた心地よい旋律の「プロミスト・ランド」は、口ずさめば皆、知ってるぅ♪と続きをハモる事、間違いなしですね。
ちなみに私は「ビフォア・ザ・レイン」が好き。
世界で活躍するミュージシャンの、臨場感溢れるウラ話を聞ける幸せ!
まだまだ続くみたいだから、期待しーちゃお。
私も少しづつ手持ちのレコードを発掘中なのですが、いまだ発見に至らず。絶対持ってるハズ、でないと名前を覚えてる訳がないし、レコパルは当時読んで無かった(爆)なので…。
かれこれ2~30年前のTVCMで、《詩人ランボーらしき人物とサーカス一座が草原を行き交う》イメージ広告。そしてランボーの簡潔な経歴のナレーションがかぶる。・・・憶えているのは、「砂漠の商人・・こんな男、ちょっといない。」で終わる。
昨晩 リー・オスカー聞き直して「プロミスト・ランド」の曲が、まさにCM曲では?と思ったのですが・・。
記憶が曖昧で・・でも、どうしても知りたくなったので、教えてください。
もう生まれていたでしょ?(笑)
今、書こうと思ったのにィ~。
しかし、Mark Goldbergだったか?サントリーに電話までは流石にしてなかったからなぁ~(汗)。
あっ、それと池上さん。
私んちのコメントで、登場してる入江さんの本「People Prefer Pooches to Passion, Pounds and Pence 」犬の話しでおもしろそう。他の本もユニークな語り口で良さそうなので、また読んでみます。
horirinさんの悩みがこんなに早く解決するとは…胸の痞えがスッキリ!
Lee Oskar のThe Promised Land は・・・ここにLPがありますが
資生堂のCMに使われたと書かれています。
聞いてみましたが間違いないかな?と・・・・。
Lee Oskarはオールナイト・ニッポンを聞いていたらCMテープがよく流れていました。で、翌朝眠い目をこすって少ないお小遣いを握ってレコード屋さんにいったらおじさんが知らなくて、こっちもそれをつっこめるほど知識がなくて撃沈した経験があります。私、今度こそ買ってきます。
いらっしゃい、どうぞお楽に…って私んちじゃなかった(爆)。
J・AGEさん、自爆撃沈ですか?わはは。
私もそういうのたくさんあったなぁ…(遠い目)。
こめ母さん、ども。
私の仲間うちサイトは、質問すると即、雨霰とご教示願えます。リンク先のどこでも…(爆)。
どうぞ、ご活用くだされ。
ぼくがちょっと外出している間にすげえことになってる!Horirinさんもさぞかしお慶びのことでしょう。(いままで知り合いの結婚式の打ち合わせしてたもんで)
こめ母さん、Andyさんいらっしゃい。
Andyさん、リーの「プロミスト・ランド」は資生堂です。あの曲は、Postにあるハーモニカをくれたアメリカ人ピッピーと重なります。まさに、リーにとってアメリカは「約束の地」だったのです。
J・AGEさん、「ランボー詩集」は粟津則雄訳の新潮社版かな。実は、粟津先生はぼくの学生時代の先生なのです。そのうちに現代詩討論とかやりましょう!
LPは今聞けないのでPC上で試聴してみてあのメロディーを思い出しました。子供の時にそれまで聞いていた旋律と違うなんとも不思議な曲に感じていました。ヨーロッパのリズムだったのですね。近い内に最後まで聞いてみたいと思います。
所で、ヤドカリせずにここに来れば良かったのですよね。
Ikegamiさん、ワイン等が到着しました。さっそくロゼを飲んでみました。2005年物なのかな?
若い味ですが香りがとても豊かで美味しいです。
ジュース等のお話は・・・また今度。
そう、リーにとって「プロミスト・ランド」=アメリカは自由の国でした。
彼はユダヤ系デンマーク人。ユダヤ人の音楽って、どこか日本的な感覚があるんですが、それは#3で書こうと思ってるので、またの機会に。
では、今日はここまでで、おやすみなさい。
「ビフォア・ザ・レイン」はリーの曲のなかで、ぼくが最も好きな曲です。まず、タイトルがユニーク。普通、曲に付けるのは「アフター~」でしょ。雨の後には晴れがくる、ってのが多くて、「これから雨」というタイトルは珍しいんです。あたまのリズム、『・カッカ、カーカーン、・カッカ、カーカーン~』というのが意外に難しい。ブルースのフィーリングでやらないとダラダラしちゃうんです。
この曲は日本の「ジュン・クラシック」というゴルフ・トーナメントのタイトル曲としていまだに使われてます。
で、ゴルフ・トーナメントのタイトル曲? いいの? これから雨で・・。たぶんこの曲に決めたのも、へそ曲がりなうえに洒脱な人だったんだろうなぁ。
このような話をお聞きすると、また新しい気持ちで曲を楽しめそうです。これからも違う視点からのヒントを提供して頂ければウレシイので、どうかよろしく。
WARは面白いバンドでした。テクニックはなかったけど、アイデアが良かった。シスコ・キッドとか好きだったなぁ。ライブ盤LPを持ってました。(遠い目)
渋谷さんもよく知っている川村プロデューサーとぼくとが仕掛け人です。愛知県のコンサートは名古屋港岸壁みたいなところのやつかな?買ってくれた人全員のハーモニカに手彫りサイン入れるんで、時間がかかってイライラしましたねえ(笑)。
ワイナリーでのコンサートではリー・バンドに渋谷さんが乱入してステージで踊ったこともあるし、JTの新商品タバコのCF音楽で、渋谷さん編曲のエリントンを吹くなんてこともありました。この続きではそんなことにも触れようと思ってます。
どうぞ、おひまな折はこちらを覗いてください。
あの時は、小川真一さんも一緒でした。豊橋在住の音楽評論家でMM誌とかレココレ誌に記事を書いている小川真一さん。僕の畏友で、特に冗談音楽やノベルティーものの専門家です。得意分野は日米のフォークやブルースやロックですが、実は凄いジャズファンでもある。最近会ってないけど、元気かなあ。
http://page10.auctions.yahoo.co.jp/jp/auction/m21530624
あ、これ、いずれワシのブログでも載せようかな、なんて思ってます。
それと、コメントありがとうございます。ありがたくご厚意を受けたいと思っております。
http://blog.livedoor.jp/iq004847/archives/50603325.html#comments
ワシのブログの5月10日のコメントをご覧ください。
以上、よろしくお願いします。