Time with WAR #3
「Tori's Triangle」と共同掲載のWAR話第3回。ちょっと話が散漫だけど、お許しを。
ラフだがエネルギーに溢れたWARのストリート・ミュージックが、一体どのように作られていたかを垣間見ていただければ幸いである。ブルースやソウル系のミュージシャンには、譜面に頼らないで音楽を作っている人が多い。ジャズ・ピアニストのランディ・ウェストンも確か譜面は利かない。リー・オスカーもそのひとりだ。WARの場合、アレンジとかで譜面の知識が必要な時に中心になっていたのはキーボード奏者のロニー・ジョーダンであった。まあ、譜面がダメといっても、彼らはもちろん普通には読める。初見の譜面を出されて、ガーッと演奏できないということなのだ。(譜面と聞いただけでジンマシンが出ちゃうような、まったくダメな大物もいるけどね)知識や技術が音楽のクオリティを担保しないという絶好の例と言えるだろう。
Time with WAR #3
80年代の前半、ぼくはLAでリー・オスカーとよく会っていた。サンセット&ラブレア(だったような気がする)にあったFAROUT PRODUCTION(WARのマネージメント・オフィス)で待ち合わせて、寿司を食べに行ったり、リーが親しくしていたドラマーのグレッグ・エリコの家に遊びに行ったりしたものだ。
ぼくにとってもっとも楽しい時間は、オフィスの奥にあったWAR STUDIOで、彼らが曲を作っているのを見ることだった。メンバーは三々五々、スタジオのロビーにやってくる。そのうちに自然と音が鳴り出す。まるで野球チームのメンバーが、グラウンドにやってきて勝手にキャッチ・ボールを始めるような感じで演奏が始まるのだ。と言っても、ある特定の曲を演奏するのではない。ファンク・リズムが延々と続くうちに、キーボードかサックスかハーモニカが短いメロディーをリズムに乗せるのだ。そうすると、誰かが「イェー!」というとそれは新曲の部分としてテープに残される。だれも注目しなければ、結果として却下。そして、キープされたテープがプレイバックされ、数日後にオーバーダブされた音とともに次第に曲としての形が出来て行くのである。
かつてブラック・ミュージックの多くは、譜面を読むことができないミュージシャンたちが手間隙をかけ、膨大な時間をかけて作ってきたものだ、ということは話には聞いていたが、実際にその様子を目の当たりにすると鳥肌が立つくらい感動するものだ。
この曲作りのことを渡辺貞夫に話すと、「うらやましいねえ。ぼくなんかレコーディングが決まると缶詰めで曲作りだもんね。譜面で作るんじゃなくて、鼻歌を歌うようにして作った曲ってラインが自然なのよ。ブラジルのミュージシャンもみんなそうやって作ってるのよ。だからいい曲多いでしょ」と羨望の表情となった。
ジャズ、ソウル・ミュージック、R&B、・・・。黒人たちの音楽の強さ、太さは、音楽が日常の生活時間のなかで自然発生的に作られる環境から生まれるものなのである。山下達郎のアカペラによる「オン・ザ・ストリート・コーナー」は、こうした環境で作られていった黒人コーラス・グループの音楽を、オーバーダブの作業をこつこつ続けて作り出したものだ。(このオリジナル・アナログ盤の内ジャケットの写真=ハーレムの125丁目の道標は、ぼくが撮って来たやつである)
話が逸れた。WARの曲作りとレコーディングに戻ろう。
FAROUTのプライベート・スタジオは彼らのリハーサルとレコーディングのために作られたものだから、好きなだけ時間をかけて作業ができる。演奏が煮詰まると「明日、明日、マナーニャ!」となって打ち切り。翌日、同じことが繰り返される。前日に録音されたベーシック・トラックに、チャールズ・ミラーのサックスとリーのハーモニカが重ねられる。何回トライしても満足できずに「トライ・イット・アゲイン!」とやっていると、誰かが「アイ・ハブ・サム・アイデア」と違ったメロディーやハーモニーを提示する。2人はフムフムとうなづいているのだが、演奏が始まるとそのアイデアには乗らず、同じことを繰り返すのである。とにかく頑固なのだ
。あっという間に数日が過ぎていく。これで食えるのかなあと思っていると、マネージャーのスティーブ・ゴールドがウインクして話し掛けてきた。稼ぎ仕事をするというのだ。
「イケガミ、ベイ・エリアのコンサート、来るかい? エクスクルーシブリーで、ステージの上で写真撮っていいからさ」
もちろん、行く!
次回はコンサート・レポートにしよう。
ラフだがエネルギーに溢れたWARのストリート・ミュージックが、一体どのように作られていたかを垣間見ていただければ幸いである。ブルースやソウル系のミュージシャンには、譜面に頼らないで音楽を作っている人が多い。ジャズ・ピアニストのランディ・ウェストンも確か譜面は利かない。リー・オスカーもそのひとりだ。WARの場合、アレンジとかで譜面の知識が必要な時に中心になっていたのはキーボード奏者のロニー・ジョーダンであった。まあ、譜面がダメといっても、彼らはもちろん普通には読める。初見の譜面を出されて、ガーッと演奏できないということなのだ。(譜面と聞いただけでジンマシンが出ちゃうような、まったくダメな大物もいるけどね)知識や技術が音楽のクオリティを担保しないという絶好の例と言えるだろう。
Time with WAR #3
80年代の前半、ぼくはLAでリー・オスカーとよく会っていた。サンセット&ラブレア(だったような気がする)にあったFAROUT PRODUCTION(WARのマネージメント・オフィス)で待ち合わせて、寿司を食べに行ったり、リーが親しくしていたドラマーのグレッグ・エリコの家に遊びに行ったりしたものだ。
ぼくにとってもっとも楽しい時間は、オフィスの奥にあったWAR STUDIOで、彼らが曲を作っているのを見ることだった。メンバーは三々五々、スタジオのロビーにやってくる。そのうちに自然と音が鳴り出す。まるで野球チームのメンバーが、グラウンドにやってきて勝手にキャッチ・ボールを始めるような感じで演奏が始まるのだ。と言っても、ある特定の曲を演奏するのではない。ファンク・リズムが延々と続くうちに、キーボードかサックスかハーモニカが短いメロディーをリズムに乗せるのだ。そうすると、誰かが「イェー!」というとそれは新曲の部分としてテープに残される。だれも注目しなければ、結果として却下。そして、キープされたテープがプレイバックされ、数日後にオーバーダブされた音とともに次第に曲としての形が出来て行くのである。
かつてブラック・ミュージックの多くは、譜面を読むことができないミュージシャンたちが手間隙をかけ、膨大な時間をかけて作ってきたものだ、ということは話には聞いていたが、実際にその様子を目の当たりにすると鳥肌が立つくらい感動するものだ。
この曲作りのことを渡辺貞夫に話すと、「うらやましいねえ。ぼくなんかレコーディングが決まると缶詰めで曲作りだもんね。譜面で作るんじゃなくて、鼻歌を歌うようにして作った曲ってラインが自然なのよ。ブラジルのミュージシャンもみんなそうやって作ってるのよ。だからいい曲多いでしょ」と羨望の表情となった。
ジャズ、ソウル・ミュージック、R&B、・・・。黒人たちの音楽の強さ、太さは、音楽が日常の生活時間のなかで自然発生的に作られる環境から生まれるものなのである。山下達郎のアカペラによる「オン・ザ・ストリート・コーナー」は、こうした環境で作られていった黒人コーラス・グループの音楽を、オーバーダブの作業をこつこつ続けて作り出したものだ。(このオリジナル・アナログ盤の内ジャケットの写真=ハーレムの125丁目の道標は、ぼくが撮って来たやつである)
話が逸れた。WARの曲作りとレコーディングに戻ろう。
FAROUTのプライベート・スタジオは彼らのリハーサルとレコーディングのために作られたものだから、好きなだけ時間をかけて作業ができる。演奏が煮詰まると「明日、明日、マナーニャ!」となって打ち切り。翌日、同じことが繰り返される。前日に録音されたベーシック・トラックに、チャールズ・ミラーのサックスとリーのハーモニカが重ねられる。何回トライしても満足できずに「トライ・イット・アゲイン!」とやっていると、誰かが「アイ・ハブ・サム・アイデア」と違ったメロディーやハーモニーを提示する。2人はフムフムとうなづいているのだが、演奏が始まるとそのアイデアには乗らず、同じことを繰り返すのである。とにかく頑固なのだ
。あっという間に数日が過ぎていく。これで食えるのかなあと思っていると、マネージャーのスティーブ・ゴールドがウインクして話し掛けてきた。稼ぎ仕事をするというのだ。
「イケガミ、ベイ・エリアのコンサート、来るかい? エクスクルーシブリーで、ステージの上で写真撮っていいからさ」
もちろん、行く!
次回はコンサート・レポートにしよう。
この記事へのコメント
譜面が…たしかDavid T. Walkerも「譜面が読めないので、みんなと音を出しながら表情を読むんだ…」みたいな事言ってたような…。私なんぞにしてみれば、ソレも凄いなぁ!と思ってしまいますけど…。
世の中には「楽器も出来ないでフュージョン聴いてどうすんの?」なんて意見も有るようですが、、
でも、世の中の大多数は読めない、弾けない、ですから。
で、いい音楽はそんなの関係ないですよね。わはは。
で、まだまだ続く、と。引越しに支障をきたさない限りで、「早く読みたい!」です。
W掲載だとどっちにコメントするか混乱しちゃうかなあ?
<楽器も出来ないでフュージョン聴いてどうすんの?> そんなアホなこと言う人には「じゃあ、フランス語できないとランボー読んじゃいけないのか?」と聞いてください。黒人教会でオルガン弾いてる人だって、譜面を読めない人が多いし、ヴォーカリストでアレンジャー並みに読める人なんてほとんどいない。
要はその人の音楽が、聴き手の心を打つかどうかなんですね。だから、音楽は自由なんです!
拍手~!!
ですよね!僕なんか譜面も読めなきゃ、英語もダメ。。なのに洋楽聴いてる(笑)
でも、今になって英語(英会話)の重要性を日々感じるこの頃です。
すっげ~!
世界中のWARファンが今でもためつすがめつしているわけですね。
10/25(火) plays 北園克衛・satie@新宿Pit-Inn 高橋悠治(piano)、渋谷毅(piano)、望月英明(bass)、外山明(drums)
「高橋悠治さんとサティーを弾く」という企画で、そっち方面のお客さんが多かったそうです。渋谷さんは「こういうの」は苦手だそうです。「こういうの」が「どういうの」なのかうまく説明できませんが、なんとなくわかるような気がします。(笑)
無理かもしれないけど、渋谷さんにドビュッシーの「月の光」を弾いて欲しいな。一度でいいから。
当日の渋谷さんのブツブツいってる顔が目に浮びます。「嫌だっていっても、まあ、やらなきゃいけないわけで、いまさらどうこう言ってもどうなるものでもないんだけど・・・」とか呟いたりするんだよね。(ぼく、渋谷さんの喋り方の真似、かなりうまいんです)
ぼくのリクエストはドビュッシーだったら「沈める寺」、バルトークの「ミクロコスモス」もいいなあって思ってます。いつかうちに呼んで、うまいもの食わせ、しこたま飲ませて、譜面の乗ったピアノに座らせる企画をやりたいですね(笑)。